このHPは、福岡県朝倉市の旧道(日田街道)沿いにある比良松を紹介するサイトです。

比良松周辺は、斉明天皇の『橘の廣庭宮』が置かれたことからわかるように、古くから筑前と豊後を結ぶ交通の要衝であり、北部一帯の台地には田畑が広がって、大勢の軍隊にも食料を供給することができる生産力を持っていました。

また江戸時代になってからは、山田堰や堀川などによって、筑後川氾濫原が、広大な穀倉地帯に生まれ変わりました。さらに、藩から奨励された櫨、煙草、明治以降の養蚕など商品作物も加わって、周辺全域が豊かな農業地帯へと発展したのです。

そして、そこへ日用品や資材、サービスを提供する典型的な在郷集落として繁栄したのが比良松です。そのピークは明治~大正期であったと云われます。

しかし、多くの買い物客で賑わった旧道の商店街も、明治末に完成した県道(現在の国道386号線)、および県道上に敷設された朝倉軌道によって、賑わいを次第に新道沿いの商店街に譲ることになりました。

街の景観の保全という意味では、この時期に幹線道路から外れたことは、幸運であったと言えるでしょう。古くからの道がそのまま幹線道路となったために、歴史的に貴重な街並みが失われてしまった例は、数多く見ることができます。

幹線道路から外れた結果、高度成長期の急速な近代化の波にも洗われることなく、往事のたたずまいを今に残すことになった次第です。また、人の出入りも比較的に少なかった事から、古くから伝わる伝統行事も多く残されています。

しかしながら、近年のさらなる生活様式の変化や家屋の老朽化、世代交代には勝てず、このまま放置すれば、他の地域と同じような経過をたどるのではないかと危惧されています。このような状況を背景に、私たちは2年半ほど前にまちづくりの組織を立ちげ、この街の歴史遺産を次の世代に引き継ぐべく活動を続けてきました。

このHPは、主として地域外の読者を対象としていますが、同時に比良松に関する情報のアーカイブとして、地元の皆様にも活用して いただきたいと考えています。したがって、外部の皆さんから見たとき、時に煩雑にも思えるような話も出てくるかと思いますが、そこは読み飛ばしていただければ結構です。

手許にある写真や資料は相当数になりますので、整理してアップロードするにはかなり時間がかかりそうです。とりあえず最小限の  構成でスタートし、徐々に充実させていきたいと考えています。

また、本サイトの情報は素人の私たちが短期間で集めたものであるため、不正確なものが混じっているかもしれません。また、思い違いや思い込みも多々あると考えられます。より確度の高い情報が得られ次第内容は修正していくつもりですが、ご自身でよく吟味しつつ、批判的に見ていただき、もしお気づきの点があれば、お問い合わせフォームよりお知らせいただければ幸いです。誠意をもって対処いたします。